なぜ人を殺してはいけないのか

日本語のTeaching Assistantを始めて数ヶ月、日本語を学ぶ大学院生の授業に参加させてもらえる機会があった。テーマは、ずばり「なぜ人を殺してはいけないのか、と問われたらどのように答えるか。」
さまざまな著名人の答えが一つの記事にまとまっていた。それを読んでの討論。普通の日本人でさえ躊躇するような可能性もある討論。それを外国語である日本語でするというのは、なんてすごいことなんだ、と思う。
このBlogを読む人に、人を殺したい、と真剣に考えたことがある人はいるだろうか。
私は、少なくとも、今までで一度もない。
自分自身を殺そうと思うならともかく、他人を殺したい、と思ったことはない。
それは、なんでだろう。
「命は尊いものだ、と習ったのか。」
実は、そうではないような気がするのだ。
私の人生、とにかく、両親からの愛情に恵まれていた。学校や、会社で嫌なことがあっても、家族の中に自分の居場所があった。何があっても、私を信じて味方をしてくれる家族がいた。
家族の中にある自分の居場所。
自分にとっては、実は、それがとてつもなく大切なことのように思える。
家族の中での自分の居場所と、殺人を犯さない、という関係がどのような根拠でなりたっているのか、それは、私には説明がつかない。
でも、そこまで他人に対する憎しみを増長させるような機会もなく、のほほんと過ごしてきた私だから、本当は、現実に存在するゆがんだ感情に気づいていないだけかもしれない。
それでも、私が信じるのは、「家族」という一番近しい存在の中に、自分の存在価値がありさえすれば、そのほかに対するゆがんだ感情は決して根付くことはないと。。。